みずたま日記
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2011.04.09 Sat*

地震で世界が変わって私はどこか安心している
これが本当のありかたのような
起きるべきことが起こったような

そんなのは私がなんの被害も受けてないから言えることだけど(関東だけど停電すら起こらなかった)
静岡の震度6のとき親が震源地にいたので血の気が引いたけど(無事でした)
その安否が確認できない時間の憔悴すら、どこか演技がかっていた

しばらくはパニックになってたし今も放射能が怖い
もともと地震への恐怖が異常にあって
一日に何回も揺れている気がして周りを見回してしまったり、一時期はノイローゼ状態だった

平穏は不安を生む
「起こるかもしれない何か」は怖い
今はあまりにも大きなことが「起こってしまった」
起こってしまったことは処理できる 処理するしかない

私にとって生きることはサバイバルでしかない
「今」に気楽に逗留することができない
圧倒的な恐怖としての未来、苦しみを生みつづける過去
その二つに対峙してはさまれてクタクタでボロボロ

人は実は困難を求めている、それは「乗り越えたい」という向上心に基づいている

でも乗り越えられるとは限らないんだよね


これで終わりってわけじゃなく依然近いうちの巨大地震の可能性はあるしむしろ強まったから
安心できる材料は何もないはずなのに
なんかこれで開き直れるというか…

私という人間は本当に貧しいんだなと思う
世界に対して「ざまあみろ」と思っている
まわりが不幸になれば自分は相対的に不幸ではなくなるから

節電とか私はこんな状況に向いていると思う
私は心の中でいつも非常時を生きているのに
周りの人たちは人生楽しんでて
だからいつもイライラしてた

苦しむのは
「なんで無駄に苦しむの?楽しめばいいのに。私は楽しいよ」と言う人さえいなければ
苦ではない


地震の後で思うことがあまりに周りと違うので
ますます個人的に生きるようになった

友達からの呑気なメール
会社の人たちの無神経な笑い声
私だって自分のことしか考えてないくせに
そういう全部が嫌で、軽蔑したり、呆れたり、傷ついたりした
今は「全てが遠い」と思うことでどうでもよくなった
誰とも共感できない
すくなくとも今の生活で関わらなければいけない人たちとは共感できない

こんなとてつもないことが起こっているのに会社や周りはまるで変わらない
そのことに打ちのめされる
何も見えてないのか?と思う

なにもかも、いままでとこれからはまるきり違うはず 


「がんばれ日本」とか気持ち悪い



でも私も私の小さな日常を一日ずつのりこえて行くことしかできない。いまのところ。
会社の人に振り回されたり、寂しさを持て余したり。

透明君の存在だけが安らぎ。
この間泊まりに来てくれた。
抱きしめたまま眠ってくれる。中途半端に触ってくる。セクシャルなことはしない。
透明君に抱きしめられることが私の唯一の望みになりつつある。
透明君に抱きしめられると、すごく幸せで、感動して、他の人はこんな幸せを毎日感じたりしてるんだろうか、どうして私は得られなかったんだろうか、これからも得られないんだろうか、と思ってすごく悲しくなる。

「私のどこが一番嫌いですか」と聞いたら「これといって特には無いっすね」と言われた。


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